〜タイ アユタヤ・アントンで街歩き〜 仏様にご挨拶&遺跡めぐりと美食でやさしさに触れる

リアルタイムでは日本に10日ほど滞在中。ようやく明日の深夜便でベトナム・ダナンへ向かいます。羽田→ダナン便は数日前に就航したばかりだそう。LCCベトジェット、1万円強と格安です。

 

アンパワー水上マーケットに連れて行っていただいた翌日も、先輩の旦那様にお世話になり、アントンの「ワットムアン」アユタヤの「ワットマハタート」「ワットプラシーサンペット」へ連れて行っていただきました。

「ワット」はお寺のことです。タイに行ったことがある人は「お寺がずいぶん多いなぁ」とご存知かと思いますけど、神社・お寺それぞれ日本の方が倍以上あるそう。

ワットムアンまでは車で2時間ほど。大きな幹線道路・高速をひた走ります。そのまま行けばチェンマイや他国まで続いているそう。

ワットムアンには世界最大の座仏(座っている仏像)がいます。

ちなみに牛久大仏は立像(立っている仏像)で世界4位、ブロンズ像としては1位だとか、大きめの仏像は「世界1位」を名乗るために趣向を凝らしており何が何だか・・

入り口でお参り。金箔を自分の体の治したいところなどに貼ってお参りします。(とげぬき地蔵のよう)

↑こちらは別のアユタヤの仏様ですが、金箔の感じはこういった感じ。2cm四方の金箔。

みんなお坊さんだった人だと思うのですが、亡くなって成仏しているので文字通り仏様なのかな。みなさんの前にそれぞれお賽銭カップがあるので、お賽銭を入れます。

どーん、ワットムアンのブッダ様です。(私がどこかにいます。夫による撮影。)

大きい上に全面金箔なのでとにかく眩しいです。後光というか全面光。

 ↑黒い点は鳩です。鳩が小さい。

↑手がこんなに大きい! 

トップの写真の通りお参りは蓮の花。蓮と睡蓮は違うもののようですが、睡蓮(モネさん)好きの私としてはどうしても惹かれるものがあります。

実はワットムアンにはもう一つの顔があり、いわゆる地獄寺なのです。
地獄はこんなところという様子が人形で示されているのですが、私はあまり直視できませんでした。すなわち「地獄は嫌だ!」と心底思いました。地獄寺の存在理由は調べていませんが、前述の感情を持つという意味では「行いを正す・引き締める」効果はありそうです。(ご興味ある方はご検索くださいませ)

 

車に戻り、少し走ってアユタヤへ。

アユタヤは14世紀~18世紀頃王朝があった場所。大きなチャオプラヤー川とその支流によって水運に恵まれ貿易都市として栄えたそう。ビルマ軍との抗争で王朝が破壊されてしまったものの、その歴史を伝えるために修復され世界遺産に登録され世界中から人が来るように。

そしてチャオプラヤー川沿いで贅沢に海の幸をいただきました・・・!

↑川エビの丸揚げ(酢豚のような甘酸っぱいタレ)たくさんの薬味を共にいただきます。カシューナッツが美味しい!

↑お魚の煮物。レモンや薬味をたくさん入れたスパイシーな味わい。エビもお魚も今も味がすぐに思い出せるほど美味しかった・・・!

チャオプラヤー川は夜になると屋形船よろしくカラオケ宴会船が増えるそうです。

お腹いっぱいになったところで、「ワットマハタート」へ。ここはアユタヤ王朝時代に城があった場所。元々は全面金箔だったそう。信仰の中心でもあったようです。

ビルマ軍の攻撃により頭がない仏像が多く「頭=その人の要」だから?と思ってましたが、頭に財宝が隠されていたとか、貼り付けていた金箔を持ち帰るためだとか諸説あり、合理的な意味合いだったようです。

切り落とされた仏頭が木の根に包まれた様子。撮影スポットになっていますが、ここで笑顔で記念写真を撮るのはちょっと気が引けました。

そのお瞳には何が映っているのかしら。 

親近感の湧くお腹に見えるけれど、こういう恵比寿様的な仏様もタイにいるのかしら。

 続いて「ワットプラシーサンペット」歴代3人の王が眠るお墓です。ここも抗争で破壊された後に修復されたよう。

美術品でも展示の継続と「修復」は切っても切れない関係ですが、修復は歴史的推察や担い手の技量が求められる大仕事ですし、どの程度まで修復された状態(=手が入った状態)が気になりました。

(検索しても日本語文献ではいまいちわからず・・・)

↑りす 

最後に夫と象さんの背中を借りました。ちょっと可哀想かなと思いつつそれを想うのも経験かな。(欧米の方は動物愛護に厳しい為か、象さんの背中を借りているのはほとんどが日本人でした。)

夕飯も美味しいタイ料理をいただき、お土産にはアユタヤ名物「ロティサイマイ」というお菓子をいただいた。(詳しくは別の日記で)

タイの人=お世話になった先輩の旦那様となったので、タイの人は優しいな、こんなに人に親切にしていただいたことは初めてだ!(身内を除く)と胸をいっぱいにしながら帰路につきました。