〜日本で街歩き〜東京の思い出 トーハク東洋館など
新型コロナ氏が流行する前は美術館博物館も開いていたので、1度目の退院のあとトーハク東洋館へ。フランス語の友だちに教えてもらう。最近リニューアルされたようでアジアの石窟や織物など廻ってきた国々の美術文化品がざくざく。私の好きな変な子の(狛犬やシーサーや仏さまの台座にいるような。べちゃっとした顔の子たち)特別展示「人、神、自然 ザ・アールサーニコレクション」もやっていてほくほく。友だちと鶯谷でお茶。病気の心配をしてもらう。
本特別展示はカタールの王族の個人コレクションなんですって。中東をまわってきた夫の話を聞いてみても中東お金持ちっぷりには驚きだ。個人コレクションかつ世界中のいろんな地域のいろんな時代の美術品なのになぜか違和感なく見られディレクションの凄さを感じる。
トーハクは来月から?入場料が大幅値上げ。個人的には賛成。学生さんの値上げ幅は大したものではないし。充実させて色んな国から人を惹き付ける博物館になっておくれ。(ふらっとは行けないけれど)
↓特別展示は撮影不可だったので以下常設展
脂質制限(※)*1があったので基本油を使わない・最小限の料理やお菓子を作って食べたりしていた。けどたまには食べたいものを。麻布食堂のオムライス↓ 両端の端正な角度。バターをしっかり使った卵とチキンライスに舌鼓。しかも1,000円。フランス語の友人と。友人といってもみんなお姉さんだ。来月は独立されるとのことでとても嬉しい気持ちに。
2度目の退院時に父からもらう。1度目の退院時はまるごとバナナを買ってきてくれたものの、袋から取り出しながら「あ、脂質制限だっけ?」とお気づきのようで食べられず…。アンテノールのプリン。シンプルな構成のものは材料のクオリティがそのまま味に直結すると実感。おいしかった。その後パンナコッタを作った際に材料のクオリティをしっかり上げて応用。抹茶のバームクーヘンやら和菓子やら色々ごちそうになった。お父さんもお菓子舌が肥えているので一緒に食べて品評するのは楽しい。
自宅近くのお蕎麦屋さんへ母と。とろろそばのとろろが黄色かった。卵が少し入っているみたい。そうすると液体の上に乗せても広がらないので(卵に火が通って固めてくれる)食べやすく・とろろの取りこぼしがない。お利口レシピ。母は油控えめ食材をたくさん買ってきてくれたり、メニューを考えてくれたり、ありがたや。実家に帰るといつもとってもお世話になる。最後の日に家を出る時は見えなくなるまで見送ってくれるので大変切ない気分になる。
*1:体を傷つける細胞がいて、胸管(肺の間を通っているリンパ管)を傷つけられた。そこから漏れたリンパ液が肺の下(胸膜と肺の間)に溜まっていた。そのリンパ液は脂質を摂取するほどに流量が増えるので、脂質を抑えれば流量が減り自然治癒するのでは?!と考えられやっていたけど、私はこれでは治らず結局、胸膜と肺をくっつけた
〜日本で街歩かず〜 一時帰国で風邪治療
↑タイのお菓子ルークチュップ とても可愛い!!
日本に帰ってきて1週間弱になる。
以下、結果的には、手術後の治りが悪かったところにバンコクで風邪をひいて喘息気味になった。という話。記録と気持ちの整理に書いておこう。
23日の日中から少し調子が悪く、のどが痛く、少し咳が出る。夜は出歩いたけど帰り道の歩行がとても辛くなる。夜から咳が強くなる。べたっと寝ると胸が苦しい。頭を上げて就寝。器官が狭くなっていて息が苦しい。でも、気胸の時とは違って痛みはない。
3時頃まで眠れたのち、激しい咳込み。こりゃだめだ。と思う。
バンコクの病院は早い。8時からやっている。
呼吸器内科のある病院に電話・予約。夫も付き添ってくれ朝一で向かう。(サミティヴェートスクムビット病院)
「呼吸は苦しいが肺は大丈夫そう?」という予想はあったものの、手術や既往歴を書いたところ【レントゲン撮ってきて】となる。
この時の酸素(SpO2)は93くらい。気胸で測ったときは92くらいだったか?(普段は98)
翌日はカンボジアへのフライト予定だと相談をする。【CT撮ってきて】となる。
【手術後のレントゲンがないから不正確だが、胸水が溜まっているし、炎症がある。術後2ヶ月の状態には見えない。胸水を抜いて調べなくては。ここで抜くか、日本で抜くか。どちらにしてもこのままの周遊は良くない。】
今後を思い泣きそうになる。既往症に対しての処置なので海外旅行保険は効かず自費になり、入院などすれば一体いくらかかるのか?となり、翌日の飛行機で帰ることに。
(*呼吸器の炎症を抑える薬の吸入をしたら主訴である息苦しさは戻っていた。)
それでもこの夜は不安で、悲しくて、涙が出た。寄り添ってくれた夫や心配をしてくれた夫の両親・自分の両親には心から恐縮と共に感謝である。
帰路につく。体調は悪く、手荷物検査から搭乗口までが果てしなく感じた。パイロットの熟練度が浅いのか、自分の体調が悪いからか着陸時の頭痛(締め付け)が激しかった。トラウマになるかと思ったが、人は痛みを忘れるもので、今となっては飛行機に乗れそうだ。
翌日、息苦しさはほとんど治っていたものの、タイの先生の迫力もあったのでお世話になっている病院へ。救急にかかる。まだ、歩行や階段はキツかった。(呼吸器のせいなのか、風邪のだるさなのか?)
持ってきたレントゲンを見せると【胸水抜かないと!】という声が遠くで聞こえる。そして問診があり、ここでもレントゲンと血液検査。
しかし結局、退院後・inタイ・今回の3つのレントゲンを見比べて大きく差がなく、血液検査の数値も大丈夫だったことから、救急性はなく風邪の悪化でしょうということになる。
「風邪で帰国したのか??」ということと、「風邪であんなに苦しいの??」「タイの先生のあの迫力は??」など疑問が沢山浮かぶ。救急は「救急性があるかどうか」が優先事項なので、詳しいことは聞けずとぼとぼ帰る。でも大ごとではなくひと安心。
↑調子が悪くなる前に撮ったナイトマーケットの様子。綺麗。
それからは徐々に調子が良くなる。階段をのぼってみたり、長く歩いたり。
そして30日、主治医のいる日に再度受診。
予約外の大病院受診なので途方もなく待たされると思ったが、救急にかかっていたからか、一番に呼んでもらう。
【持病(LAM)的に咳・痰・胸水はありうる症状だ。胸水が増えているようなら手術後の癒着?かもしれないし抜かないといけない。】
またしてもレントゲン。
再度問診。
【術後変化ということで大丈夫じゃないかな。風邪をきっかけに喘息的な発作が出たのでしょう。病気的に起りうる。
胸水も起りうる。術後胸水は減るはずだけど・・・(減ってはない、うっすら増えている気もしなくもない)、あんまり増えた場合は対策を考えないといけない。(けど、今回はそこまでではない)
確かに経過を知らない医師がレントゲンを見たら確かに対処を検討するかもしれないね】みたいな話を聞いた。
結局、苦しかった症状は「風邪・喘息的な発作」だった。
病気や手術をする前は風邪で強い咳をすることはあっても呼吸が苦しくなるようなことはなかったので、驚いた。
なので、もし今後同じような症状が出た場合は、風邪のケア&今回の通院で処方してもらったポータブル気管支拡張剤を吸入して、ダメだったら病院でしっかり吸入のようなステップをたどるようにしたい。
(そもそも風邪をひくとかなり困る!ということを念頭におく)
胸水や炎症は術後の変化過程(良好でも、今すぐ対処すべき悪さでもない)を経緯を知らない医師が見たので「これは大変だ!」となってしまった。
これについては、タイで撮ったレントゲンとCTを旅に携えておき、万一の時は病院に提出すれば判断ができそう。
術後の自分の理解がもっとあれば、なんて思ったりもしたけど、術後変化なんて人それぞれで分からないわよね、と自分に甘く思い直す。
主治医と話していても「一般的にはー」のような応答が多いし。
とにかく、今はほぼほぼ完全復活。体も、気持ち的にも。
色々と薬の荷物が増えることになるけれど、自分が苦しくならないように・家族をはじめ周りの人に要らぬ心配をさせないように、予防対策をパワーアップして楽しく旅を続けたい。
私は忘れっぽいし、記憶をあとあと好解釈してしまうことが多いのでボイスメモを取るようにしている。今回の問診も記憶と再聴を照らし合わせると微妙に違っていた・・・。そして、メモを取っていてもつい聞き忘れたり、言い忘れたりしてしまい後悔する・・・お医者に限らないことだけど。ここもパワーアップしよう。
病気のその後(9/18)
9/18 入院した病院に病理の結果と今後の診察について、聞きに行く。
旦那さんも来てくれた。
結局、「リンパ脈管筋腫 LAM」という病名がついた。数人/100万人の、めずらしい病気。
LAM細胞というのが体で増えて、肺などを蝕むので、気胸を引き起こすことがあるという。
進行する病気。
入院中も「疑い有」と聞いていたので、ショックの段階とは時差があり、聞いているときは無であった。
病名がついても、生涯症状に困ることない方もたくさんいる一方、病状が悪ければ呼吸補助や肺移植が必要になる方もいる。
進行は千差万別で、わたしの進行はこれから経過を見ていかないことには全くわからない。
ただ、現状では、ごくごく初期で対処治療を必要とする段階ではない。
日常の留意事項もなにもない。
外科の先生個人の意見では「予定通りご旅行行かれてもいいのではないか」
言い換えれば、予定を変更する病状ではない。かな。
大元の病気は、初期だから経過を観察していきましょうね。気胸はそれに付随する症状だよ。またなるのか、ならないのか、これは全く分からないよ。
(どんな気胸患者もそうだし、きっと他の病気もそうだろう)という感じ。
海外で気胸になったら、身体的にも精神的にも金銭的にも苦しいなぁという感じだけど、よっぽどの状態にならない限りは死ぬ病気でないし、なってしまったら「既往歴があるよ!ここに気をつけて処置してよ〜」と伝えて(ポケトークで)、対処してもらえれば、という感じかしら、と思う。(先生にそれを聞き忘れた…)
20時間前くらいから前兆はあるから、よっぽどの途上国や田舎にいなければ、それなりの病院にたどり着けるのでは?と想像して。
処置や手術は難しいものでないだろうし。
と、備えというか、その時どうする、というのが自分のなかで決まっていれば、闇雲な不安ではなくなる。仕事と一緒ですね。
まぁ、ならないでね、と肺に願掛けです。
当初は出発後はいきっぱなしを予定していたけど、半年に一度くらい、まずは1月末には帰ることに。その点では、ちょっと安心な気分。
と、自分の記録として書いておきます。